2008年10月18日

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上杉鷹山とWebデザイナー其の参

そんな、鷹山が残した詩の中で、もっとも有名なのが、



為せば成る為さねば成るぬ何事も

成るぬは人の為さぬなりけり



という詩だ。

僕は、これが、

山本五十六が残した、



やって見せて

言って聞かせて

やらせて見て

ほめてやらねば

人は動かず



と同じくらい好きな言葉で、

会社PCの背景に設定しているくらいだ。



totalbrain_webcreato at 12:06

2008年10月17日

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上杉鷹山とWebデザイナー其の弐

はや解説は不要かもしれないが、一応人物について解説を加える。

日向高鍋藩の次男坊に産まれた鷹山は、10歳で米沢藩主上杉重定の養子となる。

17歳で家督を継ぎ、第9代米沢藩主へ。

関ヶ原当時、120万石であった上杉家は敗戦後の減封と御家断絶の危機に見舞われ、

15万石(内高30万石)に減封されるが、120万石当時のまま家臣団を解雇しなかった為、

藩財政は困窮を窮める。更に8代藩主重定は、家柄に縛られた浪費を改められなかったため、

借財は20万両を超え、幕府に藩土返上を考えるほどであった。

鷹山は新藩主に就任すると竹俣当綱や莅戸善政らを重用し、藩財政の改革を始める。

門閥家老陣との対立や、飢饉を乗り越え、

鷹山死後であるが藩は借財を完済し、藩財政を立て直した中興の祖である。

totalbrain_webcreato at 12:02

2008年10月13日

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上杉鷹山とWebデザイナー其の壱

僕は、東京は台東区の産まれである。

他郷出身者と同じく、同郷出身者には格別な思いがあり、

同郷の出身者というだけで、親近感がわき、尊敬の対象者になってしまう。

台東区という地名は知らないまでも浅草と言えばほとんどの日本国民が知っており、

その思いは余計に強い。

しかしながら、僕の父と母を産み落としたのは、東京からは遠く離れた豪雪地帯、

新潟県と山形県である。

僕は、江戸っ子と名のりたいが、残念ながら江戸っ子というのは3代東京に住まねばならず、

僕は2代目。我が子で3代目。

自然、江戸っ子と名のるよりも、父母の出身地、新潟と山形に興味は移る。

totalbrain_webcreato at 12:34